こころとからだの健康
オリンピックから読み解く トップアスリートとメンタルヘルス
東京オリンピックは、これまでの大会と異なり、メンタルヘルスが大きく注目された前例のない大会になりました。
米国のシモーン・バイルス選手は自身のメンタルヘルスを理由に2つの競技を辞退し、オーストラリアのリズ・キャンベージ選手は東京オリンピックへの出場を自身のメンタルヘルスの懸念から辞退しました。
日本の大阪なおみ選手も自身の精神状態に言及をしたことは皆さまの記憶に新しいと思います。
アスリートのメンタル不調は、これまでメディアであまり取り上げられることがなかったため、明るくて元気なイメージが定着し、口にすることが憚れる、そんな風潮があったように思います。
けれども、実際は一般の人たちよりも多くのストレスに晒され、プレッシャーを抱えています。
自分の状態を正直に口に出せない風潮を変えようと、世界的サッカー選手であるアンドレイ・イニエスタ氏は過去に重いうつ病であったことを公表しました。
特にラグビーやフットボール、「男らしいスポーツ」というバイヤスがある競技、「アスリートは強くあるべし」というバイヤスは、周囲だけではなくスポーツ選手自身にもかかり、自分の精神衛生面上の問題はタブー視される傾向にありました。そのことから一人で抱えてしまい、症状が増悪する選手や自死に至る選手もおられたと言います。
国際プロサッカー協会「FIFPRO」は、医務部長であるVincent Gouttebarge博士が率い、メンタルヘルスに関する調査(2015/10/6発表)を行いました。
結果は、現役のプロサッカー選手の3分の1以上が、うつ病や不安の問題に悩まされ、更に対象となった現役選手607人中の38%、引退選手219人中の35%が、質問を受ける前の4週間にうつ病の症候や不安があったことを報告しました。
同調査結果によると、現役選手の23%、元選手の28%が睡眠障害を訴え、またアルコールの乱用は現役選手の9%から、元選手では25%に急増していることが分かりました。
こうした現状からFIFPROは、2021/6/1より「話す準備はできていますか?」というタイトルのメンタルヘルス啓発プログラムを正式に開始しました。この中で、アドレアーナ選手は、拒食症との闘いを、マルティン選手はアルコールとの闘いを語っています。
FIFPROは、メンタルヘルスのリテラシーを向上させるための教育に取り組み、様々な啓発活動も行っています。
参考:FIFPRO
https://www.fifpro.org/en/health/mental-health/fifpro-launches-global-mental-health-campaign
ニュージーランドのラグビーユニオンは、メンタルヘルスに特化した「ウェルビーイング&ラグビー HRADFIRST」HPを立ち上げ、ラグビー関係者、選手やその家族に対するサポートを行っています。
このサイトでは、「うつ」「不安」のセルフチェックテストがHP上で自由に受けられ、サポートに繋がるようになっていたり、メンタルヘルスの教育、啓蒙に力を注いでいます。
参考:HRADFIRST
https://www.headfirst.co.nz/
日本においても一部競技で初めて調査が行われました。
ジャパンラグビートップリーグの男性ラグビー選手を対象に実施したメンタルヘルス調査によると、調査に参加した251名のうち32.3%(81名)の選手が、過去一ヶ月間に心理的ストレスを経験。
4.8%(12名)がうつ・不安障害の疑い、5.2%(13名)は重度のうつ・不安障害の疑いに相当する状態を経験していました(重度とは、社会機能に支障をきたす程度)。7.6%(19名)は、過去2週間に希死念慮(自分の人生を終わらせることを考えること)を経験していました。
体調変化、お酒のトラブル、出場機会がない、競技力の低下、引退後の生活を意識している選手で、これらのメンタルヘルス不調を抱えている可能性が高いことが示されました。
この結果は、海外で示されてきた知見と似通っており、日本のアスリートであるラグビー選手において、海外アスリートや一般人と同様に、メンタルヘルス上の課題を経験している可能性があることが示唆されたといいます。
参考:国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター(NCNP)
ラグビー選手におけるメンタルヘルスの実態 2021年2月4日
~ジャパンラグビートップリーグ選手におけるメンタルフィットネス*1の調査からの報告~
スポーツ選手のメンタルヘルス上のリスクは、様々です。
うつ病を含む気分障害だけではなく、
・高強度のトレーニングが要因となり長時間の疲労蓄積によるオーバートレーニング症候群
・海外遠征に伴うjet-lag症候群、肥満や胸郭周囲筋の発達した競技者にみられる睡眠時無呼吸症候群、移動の頻度からくる昼夜逆転などの睡眠障害
・女性アスリートの三主徴と言われる、骨粗しょう症、利用可能エネルギー不足、運動性無月経
・厳しい体重制限が求められる競技などの摂食障害
・様々な状況に晒されることで起きる適応障害
・大きな大会後や引退後などに起きるバーンアウト(燃え尽き症候群)
などなど。
また、さらに今回の大会では過去の大会には想定されなかったメンタルヘルス上のリスクが発生しました。
2020年夏の開催に焦点を当てて行ってきたオリンピックへの調整が1年延期され、ピークの再調整を余儀なくされたこと。
新型コロナ感染症の拡大による感染対策で、家族の同行ができなくなり、さらにモチベーションになる観客や応援団の不在、制限される練習時間や場所、加速するソーシャルメディアの普及による誹謗中傷のコメント、などなど挙げればキリがないほどのストレスでした。
そうした中で、アスリートはメダルを争い、周囲の期待に応えるべく最高のパフォーマンスを披露してくれました。その努力は私たちの想像を遥かに超えるものと思います。
今回のオリンピック、パラリンピックから、多くのことを私たちは学ぶことができました。
今後は、トップアスリートを目指す若者たちへメンタルヘルスに関するヘルスリテラシーの向上、教育、サポート体制の充実などが求められていくのではないでしょうか。
筆者:産業カウンセラー
2021/9