こころとからだの健康
いま注目される「感情労働」とは
これまで「労働」は大別すると「肉体労働」「頭脳労働」の二つでしたが、近年、感情を使って働く「感情労働」という概念が定着してきました。
「感情の労働っていったい何だろう?」と感じられた方もおられるかも知れません。
感情労働は、他の労働と比べ、メンタルヘルスへの影響の大きさも指摘されていますので、ぜひ理解を深めましょう。
感情が労働内容の不可欠な要素である「感情労働」
「感情労働論」を提唱したのは、接客業の研究を行った米国の社会学者 A・R・ホックシールド教授で、1983年に出版した「The Managed Heart」で詳しく示しています。
日本の社会学者の武井名誉教授は、「職務として、表情や声や態度で適正な感情を演出することを求められる仕事」と定義しています。
つまり、業務中に抑制や緊張などの自身の感情のコントロールを求められる職業に従事されている方などが対象となります。
感情労働の3つの特徴
ホックシールド氏は、感情労働が求められる職業について、その特徴を3つ挙げています
1. 対面あるいは声による顧客との接触が不可欠
2. 他人の中に何らかの感情変化を起こさせなければならない
3. 雇用者は研究や管理体制を通じて労働者の感情活動をある程度支配する
感情労働は、「お客様や消費者に対して接客、対話を行うことにより、お客様に対して心理的な満足感を与え、報酬を得る労働」と言えますから、多くの分野の業種に当てはまる労働と言えるでしょう。
感情労働が注目される訳
現在は多くのサービスが存在し多様化してきました。またインターネットの普及により、他社比較が検索ツールで可能になりました。消費者は数ある選択肢の中から、よりサービスの良い商品を選べるようになりました。
その為、他社との差別化を図り、自社のサービスを選んでもらうためには付加価値の存在が不可欠です。
「選択したい」とお客様の感情を動かすためには、コミュニケーションは欠かせない要素です。
顧客ニーズを正確に把握し、自社に対する興味関心を高め、購買意欲を高める適正なコミュニケーションを実践するには、担当者は感情を使う必要があるのです。
感情労働が求められる職種とは?
サービス業
接客を必要とする職種で一番に思い浮かぶのはサービス業ではないでしょうか。
飲食、ホテル、客室乗務員、店舗の販売員、受付などなど。
ホックシールド氏は、著書の中でサービス業の一例として客室乗務員を挙げています。
拘束時間が長く制限のある中で快適さや満足感を与えるには、気遣いのある声掛けや明るい笑顔、丁寧な態度、ニーズの把握などが求められるでしょう。
サービス業は、付加価値としてのコミュニケーションの代表的な職種であり、常に感情のコントロールが求められる職種と言えます。
営業職
営業の仕事は感情労働が不可欠です。顧客のニーズに添った自社製品を的確に提示したり、商品の良さを説明して他社との差別化を図り、魅力的に見せたりするには、対話力が求められます。
「買いたい」「使ってみたい」と感情を動かすためには、感情面のコントロールが必要となります。
医療従事者
医師、看護師、保健師、介護士、ヘルパー、技師、鍼灸師などなど。
医療の提供は、その技術だけではありません。患者を温かく見守り、病気や予後への不安を軽減させ気持ちの安定を図るなど、精神的なサポートを行うためには、患者の動揺や不安に巻き込まれず、自身の感情をコントロールする強い意志や使命感が求められます。
知識の深さ、身体のセルフケア、感情調整が必要な厳しい職種と言えるでしょう。
コールセンター、お客様センター
コールセンターの担当者は、ノンバーバルの情報が得られない中で、声だけの情報を頼りに直接顧客と対峙するハードな職種です。
対面の接客と違い、表情や身振り手振りの情報を発信できない電話対応は、物理的距離は保たれるものの、時として顧客からのネガティブな言動や時に一方的な物言いをも受け止め、緊張に晒される中、感情の抑制、調整力、語彙力、共感力が求められます。
保育士、教師、コーチ、指導員など
生徒や保護者を相手に、常に公平さを求められる職業です。模範的な存在であることが条件とされる立場にあるのが教育に携わる職種の方々です。
生徒それぞれの個性を観察し、モチベーションを高め、時には自身の感情を抑制し、冷静に「叱る」根気強く「教える」ことも必要とされます。
できごとに対して臨機応変に対応することが求められ、事故を未然に防ぎ、広い視野が求められるこの職種は、感情職の中でもタフな職種と言えます。
人事など社員をサポートする立場
近年、労働安全衛生法や健康経営への関心の高まりなどで、人事労務部の役割は多角的になりました。
ハラスメント窓口担当や離職予防、採用後の教育、メンタルヘルス、休職・復職対応など「社員と直接かかわる業務が増加した」という声もお聞きすることが多くなりました。
社員の悩みごとをお聴きすることもある人事労務の社員の方も「感情労働」従事者と言えます。
上記に挙げた職種はほんの一例です。
感情を用いるという意味においては、多くの仕事が含まれるでしょう。声掛け、笑顔、配慮が必要な職種は、上記以外にも存在します。
「感情職」のリスク
感情労働は精神的な消耗が大きいと言われています。
肉体や頭脳をメインに使う労働にはないストレスがあります。
ストレス解消の課題
肉体労働は、しっかりと休養を取り、体を休めることで回復します。頭脳労働も同様で、脳を休め、リフレッシュを図るなどで回復します。ところが感情労働による心の疲弊は、第三者、すなわち対人関係が関係していることから、ストレス発散や解消が他の労働と比べ難しいと言われています。
バーンアウト
本音を吐露できず、自分の感情を強く抑制したり、緊張を強いられる場面に晒されることがあると人は多くのエネルギーを消耗します。我慢はいつまでも継続することができないため、限界に達したときに自身でコントロールができなくなり、心身の回復ができずにバーンアウト(燃え尽き症候群)を起こすと言われています。
モチベーションの低下、満足感の低下
ネガティブな感情に晒されたとき、周囲のサポートや自ら助けを求めたり、相談する「援助希求行動」は大切です。また、業務に対するモチベーションを維持するには、周囲からの労いや報酬は不可欠です。
ところが、案外周囲からのサポートが少ないのが現実で、感情労働は職種として「サービス提供は当然だろう」「やれることが前提」とされていることが多く、雇用側からの労働に対する対価や承認、賞賛が少ないことがあるように思います。
サービスが多様化し、今後ますます感情労働を求める社会になるでしょう。
本来は、「お客様の笑顔が見たい」「良いサービスを提供したい」「自社の製品に満足してもらいたい」「社員に安心して働いてもらいたい」という前向きな思いで感情労働を行っている方々のモチベーションを維持するためには、組織のフォロー、サポートは欠かせません。
組織は、精神的な疲労度をチェックする機能を活用し、メンタルヘルス不調への早期発見に努めることが大切です。
また雇用者からの労いの言葉、労働に対する適正な対価は承認欲求を支えます。組織に守られているという実感があると、所属欲求も満たされ、愛社精神の醸成、組織への信頼にも繋がります。
厳しい現実に直面した際に利用できる相談窓口の常設、カウンセラーや産業医の設置、ピア・カウンセリングの開催などがあると安心です。
さらに、同僚や上司とのコミュニケーションの活性化によるカタルシス効果なども日頃のやる気を支えるでしょう。
上記に示したサポートなどを参考に、ストレス過多による適応障害、バーンアウト、うつ病の予防に積極的に取り組んでいただけたらと思います。
参考:「管理される心」ホックシールド著 石川・室伏訳 世界思想社
筆者:産業カウンセラー、公認心理師